素領域日記 2009/7/9(木)

物質において目に見えないレヴェルで起きている現象をどう説明するかは、いつの時代も人を悩ませてきたということを知る。
18世紀中頃スコットランドの大学にて医学及び化学の教授を歴任したウィリアム・カレン(William Cullen)は物質が示す種々の変化をどう説明するべきか思案していたらしい。
彼はデカルト以来の機械論哲学に基づいて例えば液体の流動性を説明するのは、他の物質現象との矛盾から論理的に困難であるという見解に至る。
つまり、例えば物質の1つの相である液体を構成するミクロな粒子の「形と大きさ」が、その液体の性質を決めるという説明は成立しないし、そもそも「構成粒子の形と大きさ」は視認できるわけではないから、推測でミクロの世界に機械論哲学が当てはまると考えていることになる。
我々の日常の五感で認識できる世界(マクロな世界)では適用可能な理論がミクロな世界でも成り立つだろうという素朴な期待。
しかし実際に適用してみるとさっぱり説明できないという苦悶。
この18世紀の時には、そうした理論の限界を打破していく上でも新しい理論、近代的な化学理論がカレンやその後身の手により発展していくという。
我々の先人はそのおよそ150年後、似たような時代状況に遭遇する。
近代物理学から現代物理学へと至る時代だ。
マクロな世界を説明する古典論は西暦1900年、ついにのっぴきならない限界にぶつかる。
ミクロな世界を記述する量子論への探求の始まりだ。
きら星のごとき天才達がこの人類史を画する作業に生涯を捧げていく。
近代に構築された物理学や化学は量子論はによって基礎付けなおされることになる。
上記いずれにおいても、限界にぶつかり、新理論が求められるキッカケは産業界からの時代的要請だったりする。
それからさらに100年後、21世紀初頭の現在、量子論は産業界の要請に応え続けている。
理論の矛盾は発見されていない。
しかし哲学的には矛盾を探すことは容易い。
二重スリット実験の問題だ。
いずれ産業界からの技術的要請は、この矛盾を実際的な矛盾へと引き上げるのだろうか?
それはあるとしてもまだしばらく先のことだろう。
ただ、ポパー(Popper)も一目置いていたと窺えるとある理論に基づいて、近年コンピュータシミュレーションによる研究が蓄積されている。
それらを材料の一つとして遠い将来、我々の世界観を揺さぶる新たな展開があるのかもしれない。
長生きしようと思う。
そう今朝、通勤電車の中で考えた。。

昼、交差点でばったりSおじさんと遭遇。
2、3年ぶりだったのでうれしくて固い握手。
待ち合わせをしていたようだ。
やってきた方はキレイな若い女性。
もう60になったと思うんだが、人生楽しんでるなぁ相変わらず。。
息子にはしばらく言わないでおこう。

夜、駅でいきなり知らないオッサンに呼び止められる。
現在は日本の某大手不動産会社に勤める元ライダーだそうだ。
端的に云って、Hapa仲間だった。
しかも私と同じ仙人志向の持ち主だった。
貴重なお話だった。
またいずれ会えればよいと思う。
鈴木エドワード(Edward Suzuki)の存在を知る。
色々なHapaの先輩方がいるものだ。