素領域日記 2014/2/18(火)

先週土曜、用事があって神保町に行ったら、半ば予期していたが、偶然にも某氏に今年初めてお会いすることができた。
今回もためになるお話を伺い神保町駅前で別れた後、用事が済んでいた私は珍しく余裕があったので書店街への彷徨を始めた。
今回の収穫は、確か三省堂書店の片隅に置いてあったと思うが、無料の小冊子『神保町がすきだ!』第7号(「神保町を元気にする会」発行、2013年10月)だった。
「特集 日本の近代出版と神保町」ということで、有斐閣三省堂岩波書店小学館の会長・社長へのインタビューで冊子のページはほぼ占められているのだが、これが面白い!各社それぞれ創業90年〜136年だそうで、明治・大正・昭和時代の貴重な写真も小サイズながら載せられている。各社そんな昔からやっていたのか!とそこでまず驚愕したが、興味深かったのは各社大体において古本屋からスタートしているというところだ。
古本を売りながら金がたまってきたところで、すぐさま新刊も発行していくのだが。
各社が創業当時というのは、創業場所である神保町界隈には既に東京大学の前身たる幕府の洋学機関「蕃書調所(ばんしょしらべしょ)」の設立に端を発してどんどんと教育機関が集積しており、古本への需要がかなりあったようだ。無一文から手っ取り早く資金を蓄積するには古本を売りさばく手段が取られたようだ。
明治17年1884年)以降東大が本郷に移転したり、他の国立大が移転して行っても、今度は私立の法科系専門学校、後の明治、法政、中央、専修、日本大学が神保町周辺に開校し、学生・教職員の街であることは変わらず、むしろ学生の数は増える一方だったという。そうした環境下で各社はそれぞれ現在の基盤を作りあげていく。
それにしても1923年の関東大震災はこれら出版社(兼古本屋)に壊滅的打撃を与えた(全部焼けたり、社屋が潰れた)が、数か月後には各社無一文から復活を遂げていることにはただただ驚くばかりだ。
そんな中で小学館だけは被災を免れた小石川の博文館印刷所(現・共同印刷)と市谷の秀英社(現・大日本印刷)で印刷していたから、『小学五年生』、『小学六年生』に大震災速報を三二ページ追加して他に先駆けていち早く刊行でき、飛ぶように売れたおかげで『小学生』シリーズが軌道に乗るきっかけとなったあたり、小学館社長が言うとおり「禍福はあざなえる縄の如し」である。
素領域はその昔、大日本印刷の工場隣に棲息していたのでその点でも興味を引いた次第。
小学館社長の話でもう一つ興味深かったのは創業者の妻ナヲの八面六臂の活躍を紹介したあとの次の言:「創業者というのはほとんど夫婦が一緒になってやっているんじゃないでしょうか。小学館も、その後のことを考えると、祖母[素領域注:ナヲのこと]の力が大きかったと思います。」