素領域日記 2010/6/22(火)

5月17日月曜午後(日本時間)、祖母が亡くなった。
大正、昭和、平成にまたがる93年という永い生涯を閉じた。
祖父もまた13年前の5月に息を引取ったことを思い出す。
その2日ほど前には母親から祖母は元気だと聞いていただけに、アルジェの早朝にメールによる知らせに気づいた時は唐突な感が否めなかったが、年末以来の祖母の状態から覚悟はした上で来アしているので、来るべき時がとうとう来たかと思うと共に、母親の気持ちの高ぶりと残された独り身の叔母の今後がまずやはり心配になった。
すぐさま日本へのタッチ&ゴーを検討したが、祖母の直近の状態からは予期しない死だったため、仕事やフライトの都合がすぐにはつかず、結局納棺に間に合わないことが分かり断念した。
これでとうとう私には祖父母が居なくなった。
父方の祖父母には元々会ったことがない。
父方の祖父は第二次世界大戦中、シチリア島にて戦死したということだから会えるはずもない。4年前、ローマの外れにある、親戚さえもロクに行かないその墓を訪ねたことが初めての出会いだっとことを思い出す。それはいくつもの偶然と必然と人間の優しさが重なって辿り着くことの出来た、無数の白い十字架が整然と並ぶ美しくも寂しげな場所だった。そこに眠る父方の祖父もまた、アルジェリアの地を経験している。
父方の祖母は私が中学生の頃亡くなった。写真でしか知らない。彼女も私に会いたかったらしいが、今は何故会う機会がもてなかったのかが分かる。
私はこれまで孫世代という枠に何か安穏としていたが、死ぬ順番がこれで1つ繰り上がり、私もいよいよ以ってオルテガ・イ・ガセットであったかヘーゲルが語ったという「生の猶予不可能性」を意識せざるを得ない世代となってしまった気がする。

旧盆の頃、私は先祖代々の墓に祖母を納めに行こうと思う。